川島道行の死因は悪性の脳腫瘍。闘病から最期まで・・・・。

ロックユニットのBOOM BOOM SATELLITES(ブンブンサテライツ)のVo・Gt(ボーカル・ギター)の川島道行さんは2016年10月9日に脳腫瘍で亡くなっています。

川島さんの頭にできていた脳腫瘍の種類や死亡した原因や病気の状態や生前どのように過ごしていたのかについて調べました。

川島道行は脳腫瘍で逝去

川島道行さんは脳腫瘍のため、2016年10月9日に逝去享年47歳。

脳腫瘍とは、頭蓋骨に包まれた部分にできる腫瘍の総称です。脳そのものの腫瘍と、脳を包む硬膜や血管、脳下垂体、脳神経など脳以外の腫瘍に分けられ、良性と悪性の比率は2対1。

引用:日刊ゲンダイ ヘルスケア+

川島道行さんは1997年に初期の脳腫瘍が見つかり、2012年12月に脳腫瘍を公表。この時が3度目の再発

川島道行は脳腫瘍で死去・死因

28歳の頃、脳腫瘍が初めて見つかった時には公表はせずに治療を続けていました。その後の12年に初期の脳腫瘍であることを公表。

翌年、2013年に手術を受け、この時の手術で川島さんの右前頭葉の2割が空洞になっています。

引用:Secret Desire

手術では脳腫瘍だけではなく脳の一部分も摘出。摘出した部位は日常生活には支障はありませんが、繊細な感覚が要求されるミュージシャンとしては別で、術後は声が出ないことも・・・・。

引用:Secret Desire

脳腫瘍の悪性度は4段階。グレード2までは比較的進行が遅く、良性の範疇で、手術で全摘出し治療は終了します。

4度目の再発では余命宣告を受けるグレード4の悪性腫瘍でした。

悪性腫瘍は大事な血管や神経を巻き込んでいる場合は手術が困難です。そのため腫瘍を摘出するというわけにはいかないようで治療は困難です。

グレード2では20~40代に多く、5年生存率は70パーセントほどで決して治療成績は悪くはないようです。ですが、グレード4になると5年生存率は10パーセントほどになり生存は絶望的・・・・。

グレード4の悪性腫瘍では大脳に発生し首位の脳に滲み込むように広がり摘出は困難です。

悪性腫瘍のタイプにはグリオーマという物もあり、正常な組織に滲み込むように広がり、正常組織と悪性腫瘍の境界がわかりにくいものがあり、近くに重要な神経や血管があったりすることもあり、手術療法では十分に取り除けないケースがあるようです。

川島さんも、悪性グリオーマだったのでは?と言われています。

脳腫瘍の治療には主に3つ方法があり、手術療法、放射線療法、化学療法を駆使して対応します。

川島さんも脳腫瘍が始めて見つかった時は手術療法で治療していましたが、グレード4の脳腫瘍に対しては浸潤が深く、手術療法と臨床実験段階のBNCT(ホウ素中性子捕捉療法)を用いて治療にあたりました。

引用:大阪医科大学 関西BNCT共同医療センター

BNCT(ホウ素中性子捕捉療法)とはがん細胞だけを破壊する治療法です。

中性子とホウ素の核反応を利用したもので、正常細胞にほとんど損傷を与えず、がん細胞を選択的に破壊する治療法で、初発・単発がんのみならず、個別臓器に広がったがんや転移性がん、難治性がんにも効果が期待できます。

引用:大阪医科大学 関西BNCT共同医療センター

川島さんはこの臨床試験段階の特殊な放射線治療に世界で9番目の検体として実験に参加しています。

BNCTはマウスの実験で効果は出ており、他の治療法と併用することでさらなる効果も望めます。そのため再発したガンの治療にも効果が見込めるようです。

実験に参加した結果、数カ月の経過観察の後に腫瘍の進行を抑えるこに成功しました。

しかし、2015年の7月25日に5度目の再発を受け、10月のフランスでのイベントは欠席。同年11月のワンマンライブをもってライブ活動の休止を発表します。川島さんの体調不良で予定されていた最終公演も中止になります。

この時はまだ川島さんの容体は比較的にも安定していたようでしたが、万が一のことに備えての判断だったようです。

その後、2016年6月22日にラストシングルを発売し、同年10月9に川島さんは逝去されます。

川島道行は脳腫瘍で死去・闘病

川島さんは28歳の頃から脳腫瘍を患い、治療と再発を繰り返しています。ここでは川島さんの闘病生活に関しても見ていきたいと思います。

闘病生活はアーティストとしての活動とともにあったといっても過言ではなく、BOOM BOOM SATELLITESのデビューの年の1997年に1度目のの腫瘍摘出手術を行い、その2年後の1999年にも同じ症状で再び2度目の手術をします。

2013年の全国ツアーが始まる直前に3度目の発症が確認され、ツアーの中止を発表。

川島さんは手術を受け、約4か月間の休養期間に入り、活動再開後は順調でしたが、アルバム制作やフェスなどに出演していた2014年に4度目が再発して、余命2年の宣告を受けます。

余命は2年でしたが音楽活動が可能な期間は、あまりなく。延命の希望が見いだせないままアルバムの制作やライブに精力的に活動し、どんな時も出来る限り沢山の人の記憶に残ろうと文字通り必死に闘病と音楽活動を続けてきました。

川島さんは音楽活動が可能な最後の時間は半年から一年という事実の中で懸命に音楽とも病気とも向き合いました。

川島さんの脳腫瘍はグレード4で治療のために音楽活動と並行し、何人もの医師に会い、何度も絶望を重ねる中、諦めずに治療法を探し続けた結果、特殊な放射線治療のBNCTにたどり着きます。

その放射線治療はまだ臨床試験段階の物でしたが一縷の望みにかけ世界で9番目の検体として実験に参加し、数カ月間の経過を見た結果、腫瘍の拡大を防ぐことに成功します。

 

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放射線治療の結果、体調も悪く見た目にも髪の毛も抜け落ちますが川島さんは数多くのライブをこなしていました。

そんな姿を間近で見ていたブンブンサテライツの中野雅之さんは「この人凄いな、自分にはこんな事できないな」と感じていたそうで、川島さんからは言葉にすると矮小ですが凄さとしか表現できないような力強さがあったようです。

再発から治療の間はアルバム制作やライブを一切キャンセルすることは無かったのでそういった所に中野さんは川島さんの生命力や精神力に驚きを隠せなかったようです。そのため言葉にできないものがあったようですが、川島さんのその姿は音楽にはしっかりと残っています。

2015年には5度目の再発を受け9月には活動休止を発表します。

この活動休止を受けて「現状、次にいつライブが行えるか、新作のリリースができるか等、お知らせできる情報は何も無い状況ですがバンドとしてはまだ何も諦めていません。」とコメントを出しています。

川島さんだけでなくブンブンサテライツとしても最後の最後まで闘っていたようですね。

その後、ツイッターで制作中の作品がブンブンサテライツの最後の作品になることを発表します。

2016年の5月31日に最後の作品の完成と共に、ブンブンサテライツの活動終了を宣言します。

理由には川島さんが脳腫瘍の麻痺や後遺症で音楽活動が不可能になったことからです。

2016年6月22日にラストEP「LAY YOUR HANDS ON ME」を発売し、川島さんは同年の10月9日に逝去されています。

川島さんの闘病生活は常に音楽活動と共にあって、その音楽性に大きく影響を与えていました。約20年近く続けてきたバンド活動の陰には脳腫瘍との闘いがあり、高い評価を受けるブンブンサテライツの音楽には川島さんの長くは生きられないからこそ何かを少しでも残そうとする強い生命の輝きを音楽の中に感じ、多くの人達に感動を与えることが出来たのかもしれませんね。

川島道行は脳腫瘍で死去・最期

川島道行さんはミュージシャンとしての役割を終えた後は、妻で女優の須藤理彩さんと2人の娘の家族と共に穏やかな毎日を過ごしたようです。

 

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Happy birthday、papa❗️

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脳腫瘍の麻痺などの後遺症で、手足は不自由で車いすを使う機会も増えて、不便な生活をしていたようですが言葉はゆっくりならば話せていました。

長年、一緒にいた中野さんでも川島さんと「正確な意思の疎通が難しいので、今彼が何を考えて何を思って毎日を過ごしているのか、僕でも少し理解しきれない時があります。」話しています。

中野さんの目には川島さんは最後の作品を作りきった充実感や達成感を感じているようにも映り、本当に燃え尽きてしまった抜け殻のようにも見えたそうです。

中野さんは川島さんとの思いをブログで回想しています。

川島道行との旅もあともう少しで終わろうしています。

川島くんと一緒に数え切れないほどの景色を見てきました。

 

何を思い返しても簡単な事は無かった。

思いのままジタバタして、

もがいて、駆け抜けてきました。

 

振り返るとどれも素晴らしく、

誇らしく、思い出達はキラキラと輝いています。

引用:BOOMBOOMSATELLITES

川島さんは最後に何を思ったのでしょうか?川島さんが何を考えていたのかはわかりませんがきっと中野さんと同じ思いの気がしますね!!。

 

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24.Aug.48th,Birthday♡♡♡

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そして、10月9日午前5時12分に最期は自宅で妻の須藤理彩さんと2人の娘に見守られ、旅立ちました。

川島さんが亡くなった後に中野さんがコメントを出し、

「今迄支えてくれてありがとう。これからも僕たちが創った音楽を、共に過ごした時間と記憶を大切に、力強く生きていってください。」

そして、最後に一言だけ言わせてください。ブンブンサテライツでした!!

引用:bbs.net

川島さんは亡くなってしまいましたが川島さんの残した音楽は無くなりはしないので、大切にしていきたいですね!!。

 

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Kick it out。 伸びやかな歌声が 頭にスッと入る。 BOOM BOOM SATELLITES。 Kick it out聴きながらの帰り道。 川島さんの体はなくとも、数々の素晴らしい曲を遺してくれてる。 そこに、魂がある。 明日が、ベスト発売日。 デビューした年から病との戦いだったけど、ほんとカッコいい曲たくさん作り出して聴かせてくれたブンブン。 5度も脳腫瘍の再発。 あの時は、ほんと神様なんでだよ💢°(°`ω´ °)°。 って思いました。 きっと、地球のどこかでベストアルバム発売喜んでると思う。 ふらっと、新作出してくれたら嬉しい。 #川島道行 #中野雅之 #BOOMBOOMSATELLITES #ブンブンサテライツ #ブンブン#Kickitout #どう生きたかが何百倍も大事 #カッコいいライブ #手にいっぱいペンの跡笑 #今日もお疲れ様です #もうまもなく低速です笑 #3月1日が待ち遠しいね

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おススメ曲

最後まで読んでいただいてありがとうございます。ブンブンサテライツの川島道行さんのまとめでした。

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