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ローランドの高校時代はサッカー部!サッカーをやめた理由はプロになれなかったから?!

「俺か、俺以外か。」というキメ台詞が有名な歌舞伎町の帝王のローランド。

リッチな風貌で優雅なイメージが強いですが、高校時代まではバリバリの体育会系でプロのサッカー選手を目指していました。

子供の頃からサッカー一筋でサッカーバカと呼べるくらい練習に打ち込んでいたそうです。

元カリスマホストとして現在はホストクラブや脱毛サロンを経営しており経営者としての手腕を発揮する一方で巧みなトーク力と派手目な風貌でメディアにも引っ張りだこですが、ホスト以前の高校時代にサッカーに情熱を注いでいた頃のエピソードや当時の画像を見てみようと思います。

また、サッカーをやめた理由についても詳しくまとめました。早速、ローランド学生時代について迫りたいと思います。

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ローランドの高校時代【画像アリ】

ローランドの出身高校は帝京高等学校です。

出典元:Wikipedia

帝京高校へはサッカーのスポーツ推薦で入学し、高校時代は文字通りサッカー一筋の生活を送っています。

コチラが高校生の頃のローランドの画像です。

出典元:Resumedia

現在の女性的な風貌の面影は微塵もなく、男性的ですね。

身長も高いですし、がっちりとして男らしかったようです。

ホストになる前はスポーツに熱中していました。高校へも勉強をしに行ったというわけではなく完全にサッカー目的で進学を決めています。

帝京高校と言えばサッカーの強豪としても有名でプロサッカー選手を50人近くも輩出しています。サッカー部の先輩にはとんねるずの木梨憲武がいます。

サッカー選手を目指していたローランドには最適な環境だったようですね!。

出典元:wakuwakuブログ

サッカーは小さい頃から本格的にプレイしていました。

中学生の時まで柏レイソル青梅Jr.ユース(現AZ東京青梅86)に所属しています。プロの下部組織でプレイし高校からはサッカーの強豪校に進み、将来はプロになることを目標にしていました。

幼少期からかなりの体育会系だったことがわかりますね。経歴を見るとかなりのサッカーエリートです。今の華やかなローランドからは微塵も想像もできませんが、ホスト以前はゴリゴリのスポーツマンでした。

高校時代のエピソード①全然モテなかった!

ローランドの高校時代はサッカーのことをいつも考えていたそうです。選手としてのタイプはストライカーで貪欲にゴールを狙うプレイをしていました。

そのため「どうやったらうまくなれるか?」「どうやったらいいプレイができるかな?」と365日、毎日、常に考えていたそうです。

スポーツには熱心でしたが勉強もおろそかにすることはなく成績も良かったようです。勉強も出来、運動神経抜群で高校時代は文武両道のローランドでしたが高校3年間は全くモテなかったようでホストになるまでは女性経験は一度もなかったと話しています。

女性経験が一度もなくホストになるというのはかなり意外でしたね!!。今でこそモテモテのローランドにもそんな時代があったようです。

モテない理由には生活の全てをサッカーに注ぎたいという強い思いがあったからで、勉強も恋愛もサッカーに関わること以外は全て無駄だと当時は考えていました。

少し、理由はカッコよすぎる気もしますが、青春には興味があったらしく代わりに少女漫画を読んで気を紛らわせていたそうです。

当時は寮生活で周囲は男ばかりの環境で過ごしたのでその反動からホストになったとも自虐するローランドですが、学生時代の一番のロマンチックな思い出がペコちゃんと手をつないだことだそうです。

出典元:Pinterest

きっかけは「女の子と手をつなぐってどんな感じなんだろう?」と友達と話していたことからだそうで、実際に手をつないでみるとペコちゃんの手はとても冷たく、悲しい気持ちになったそうです・・・・(笑)。

高校時代のエピソード②サッカーバカ!

高校時代の当時はローランドにとって学校はサッカーをする場所でそれ以外のことは”とまで考えていました。

ここまで極端な考えを持っていたのには・・・勉強に何の意味があるんだろう?サッカーをずっとやっていたい!と強く思っていたことからです。

この考えからローランドは高校時代を勉強や恋愛全てを奉げ、持てる力の全てサッカーに注ぎ込んでいました。

なんでもローランドの性格は「コレっ!」と思うと、とことん突き詰めていく性格らしく、ローランド本人も自分の性格を熱しにく冷めにくいと語っています。

そのため当時の目標はサッカーでプロになることだったので毎日練習に明け暮れていました。

サッカーをプレイしている時の気持ちは常に強気で「俺にできないわけないでしょ!」、負けた時には卑屈になることなく「この俺に勝つんだから相手超スゲーじゃん!」と超ポジティブ思考で物事を捉えていたようです。

名言に代表されるような前向きな性格は当時からあったようですね。ローランドの高校時代はゴリゴリの体育会系でした!。

ローランドと言えば名言(迷言?)で、女性にモテるだけの普通のホストとは違い男性のファンも多いですが、個性的な発言の裏には体育会系のコミュニケーションの中で培われた部分も多く、そういった所が女性だけではなく男性も引き付ける魅力になっているようです。

男性ウケがいいのは体育会系の中で仲間と必死に努力してきた経緯があったからですね!!。

高校時代の画像!

ローランドが高校時代にサーカーに打ち込んでいた時の画像がコチラです。

出典元:庶民アラフォーまめちねっと

今のような華やかさは微塵も感じられませんが、無駄のないストイックな雰囲気が伝わってきます。

選手としてはゴリゴリの泥臭いタイプでテクニカルだったりと華やかさみたいなものは一切なかったそうです。

ただ点を決めるためだけにいるというプレイヤーだったそうで、帝京高校の当時の監督からも「お前は本当にへたくそだな」と言われていました。そのため上手な選手が心からうらやましかったそうです。

出典元:ヒマツブシ

帝京高校へは特待生として入学し、全国大会への出場経験もあるのだとも言われています。

コチラが帝京高校のユニフォームです。

出典元:HOSPARK

寄せ書きの一言では書ききれない3年間の想いでの多さが伝わってくるユニフォームです。

チームメイトとの仲の良さが伝わってくるようです。ローランドはチームではムードメーカー的な立ち位置だったのかもしれないですね。

ちなみに、ローランドの本名は松尾風雅と言いますが、チームメイトからは名字と名前を一文字取った『松風』や、そのまま名前の『風雅』と呼ばれていました。

ミニマリストのローランドですがユニフォームはとても大事な宝物で今でも大切にしています。

東京グラフティのインタビュー記事の中では、

『俺がサッカーで学んだこと』

帝京高校サッカー部時代の思い出。

Jリーガーになれなかったからホストになった。

あの頃学んだことを歌舞伎町でも忘れちゃいけないと思ってます。

出典元:GRAFFITI

ユニフォームはこれを忘れないためのもののようです。帝京高校でサッカー部で努力し学んだ経験がホストや経営者として成功した原動力になっているようですね!!

大事な事を沢山学んだようでしたが、時にはつらい経験あったようです・・・・

サッカーをやめた理由・高校時代に挫折を経験!

サッカーに全力投球していたローランドでしたが都大会の選手権の決勝戦で敗退します。

その瞬間にプロには成れないことを悟ります・・・・

当時の気持ちをインタビューで「人生を生きてきてあれ以上の挫折はない」とまで語っています。

サッカーを辞めた理由バラエティ番組番組では「サッカー界にはメッシがいるからあいつに任せておけばいい」と茶化したりもしていますが、大好きなサッカーの仕事やインタビューでは真剣にサッカーについて語る姿が印象的です。

これ以上ないくらい努力してきてこれで成れなかったら人生3回4回努力しても絶対になれなってぐらい本当に(努力したので)

出典元:youtube

挫折を感じた瞬間はすがすがしい気持ちと悔しさとが入り混じった言葉では説明できない、複雑な気持でした。そこで改めてプロには成れないことを肌で実感します。

ローランドは都大会の決勝戦で敗退したことでプロになれないことが確信に変わります。

実は高校1、2年の時からプロには成れないと薄々は感じていたそうです。今までは持ち前のポジティブさで今まで進んできましたが、結果を目の前にハッキリと示されたことでさすがのローランドも心が折れてしまいます。

この時の挫折をローランドは後に「二度と味わいたくない屈辱」とまで言っています。

それもそのはずでローランドがサッカーを始めたのは幼稚園に入るよりも小さい頃からです。人生のほぼ全てをサッカーに捧げてきました。その努力が報われないと感じた瞬間から逆恨みのような裏切られた気持ちになったらしく「なんで俺こんなけやったのに」という気持ちになり、その時ばかりは大好きなサッカーが一瞬で大嫌いになってしまいテレビで同世代の選手が活躍していたり少しでも目に入るとテレビを消したりもしていたようです。その時期はとても卑屈になっていたそうです。

高校を卒業してからは大学へ進学しますがサッカー選手になるという夢が破れた後で、自分の人生にとても迷っていました。

「(大学の)入学式初日のときに、人生の先が見えちゃったんです。よく人って、『先の見えない人生は怖い』って言うじゃないですか。でも、そのとき知ったのは『先は見えたほうがもっと怖いな』って。『それ以上上にいけない、これ以上行けない』と知ったときに、すごく僕は恐怖を覚えて…」

出典元:SIRABEE

そして入学式の翌日には大学を止めてしまいます。

退学届には「NO.1のホストになりたいので、大学を辞めます。」と書き、大学を辞めた帰りに教科書代に使うはずだった10万円でスーツを買い、新宿アルタ前に行って最初に声をかけてきた店に入ってホストになります。

当時は、「俺、顔で食っていけるタイプだわ。」という確固たる自信があったそうです。

ですが大学を勝手に退学したことが家族にもばれてしまいます。ホストになると言い出したことで父親からは大反対された結果、勘当。しかし、その1年後には月に100万円を稼げるようになりホストとして成功。

コチラが当時の画像。今とは少しキャラが違いますね。

出典元:バズログ!

実家に謝りにいった所、父親は「よく戻ってきた」とポルシェのカイエンをプレゼントしてくれたそうです。

ローランドも変わっていますが、その父親もさすがというか・・・カエルの子はカエルのようです(笑)。よく戻ってきたと喜んでくれたのもしっかりとホストで成功して戻ってきたという父親から認められた証のポルシェだったのかもしれません。

悔しさが原動力とも語っているローランドですがホストとして成功できたのはサッカーでの挫折があったからだとも話しています。

プロになれなかった時には今までやってきたことが全て無駄だったとも思っていたローランドでしたがホストとして成功したことで周囲からも認められ自尊心も取り戻します。

自分のことも好きになり、その時に「やっぱり俺サッカー好きだなぁ」とまた思い直し、どこかでサッカーまたやりたいなぁと考えるようにもなったり、時にはサッカーをしている夢を見たり、自分は本当にサッカーが好きなんだなと思ったようです。

「好きなことに背を向けてたりとか好きなことに卑屈になる人生ってイヤじゃないですか好きな物は好きでいたいなって思い直して」

出典元:youtube

自分のことを認めてあげられるようになったローランドは試しにサッカーの試合をどういう気持ちになるんだろう?と思って観てみてみたそうです。

そうするとやっぱりとても面白くかったそうで、一度は嫌いになったサッカーをまた好きになることが出来て、ホストで頑張って心からよかったと語っています。

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ローランドのサッカーの実力は?

身長が182cmとフィジカル的には恵まれていましたが決して才能がある選手ではなく、とにかく泥臭くプレイするタイプです。

勉強はできましたが頭もよくないと自称し、とにかくがむしゃらにプレーするスタイルで持ち味はハードワークです。

一般的に見ればサッカー歴はレイソルJrから強豪校の帝京でレギュラーなのですごくうまいと思われます。ボールのさばき方を見ても凄く上手ですよね!!。

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ローランドと現在のサッカーとの関りは?

ホストとして大成功したことで大好きなサッカーの仕事との関わりもあるようです。

サッカーに関することでインタビューを受けたりサッカーの試合の解説も副音声でするなどしています。

こちらは自身のインスタですがロナウジーニョともフットサルをしています。

小学生の時にはとても憧れていた選手でロナウジーニョのプレイを真似していたりしたり崇拝していたとまで語っていた選手と一緒にプレイしてます。

崇拝していたロナウジーニョとプレイできるなんてローランドの成功を物語っていますね。

他にもセレッソ大阪の公認セレ男になるなど夢にまで見たJリーグのピッチにも立つことが出来ています。

夢の舞台に立った時の事は、「夢って諦めなければ、形は多少変わってもやっぱりちゃんと叶うんだなってってことを自分自身でも証明できた瞬間」だと語っています。

サッカー選手にはなれませんでしたがホストとして頑張って努力したことで今でも大好きなサッカーに関わることが出来るローランドはとても幸せのようですね。

ちなみにローランドにとってサッカーは必要不可欠らしく自分にとってサッカーの無い人生は「エッフェル塔の無いパリ」と言っています。

物心ついたころからサッカーに身を捧げ一時は嫌いになってしまうまでなってしまいましたが別の道を見つけ一度はあきらめた夢が叶えられているローランドの生き方はとても参考になりますよね!!。

今ではまた大好きなサッカーに関わりとても充実し数々の事業で成功を収めていますしとてもカッコいいですよね!。

今後の活躍がまた楽しみです!!。ローランドのサッカーに関するまとめでした。