内閣総理大臣の安倍晋三さん。
祖父は政治家の岸信介と安倍寛で父親も政治家で自民党幹事長も歴任した安倍晋太郎という政治家一家としても有名です。
そんな政治家の家系で自身も政治家で内閣総理大臣の安倍晋三さんの幼少期について調査します。
ここでは子供の頃の画像やエピソードを交えて性格や将来の夢などをまとめています。そのため安倍晋三さんの幼少期について詳しく知ることができます!!。
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安倍晋三の幼少期は甘えん坊?!
安倍晋三さんは1945年に9月21日に安倍晋太郎さんと洋子さんの間に3人兄弟の次男として誕生します。
父親の晋太郎さんは政治家の安倍寛の息子で洋子さんは元総理大臣の岸信介の娘になります。
晋三さんの幼少期は父親の晋太郎さんが政治家として公務に忙殺されていたので家を空けることが多く、息子たちと関わりが少ない環境でした。
そのため晋三さんは親の「愛情に飢えた子供」でした。
安倍晋三の子供時代の父と母との関係は!!
晋三さんは父親の晋太郎さんが家をあけがちだったことに対しては「物心ついてから父に遊んでもらったという記憶がほとんどない」と幼少期についてふり返っています。
小学校から大学まで武蔵野の吉祥寺にある成蹊学園に通っていました。そのため渋谷区南平台に住んでいた晋三さんには近所には親しい友人は1人もいませんでした。
そのような状態だったため、子供時代は兄や家庭教師、乳母役の女性と遊んでいました。
晋三さんの母の洋子さんも不在がちで父親と共に選挙区である山口県に行っていたので両親が家を頻繁に空けていました・・・・。
そういった環境で育ちましたが寂しさから泣いたりすることはなく気丈でしっかりとした子供でした。
しかし、その反面世話役であった久保ウメさんには甘えていました。いつも”おんぶ”をねだったり、ウメさんの布団に潜り込んで甘えていたりも中学まではしていたそうです。
こういったことからも晋三さんは相当な「甘えんぼう」だったことがわかります。
両親が不在の家で育ったことで愛情にに飢えていたようですし、次男ということもあってよけいに寂しい思いをしたようです。もしかすると、小さいながらも両親の仕事の重要性は理解していたのかもしれませんね!!。
そのため、晋三さんは小さい頃には親が政治家でない普通の家庭への憧れがありました。
「やっぱり普通の家庭への憧れはあった。
人の家に遊びに行って友達が両親なんかと楽しそうに話してたり、父親と何か楽しそうにやり合っているのを見ると『ああ、いいな』と思ったりしたものです。
それに引き替え、うちの家には父は全然いないし、母も選挙区へ帰ることが多かった。
だから父がたまに家にいたりすると、何かぎくしゃくした感じがしたものだった」
こういった発言からも、いわゆる暖かい家庭に憧れていたことがわかりますね!!。
そういったことからも父親との関係は良好と呼べるものではなく父と息子は関係は希薄でした・・・・
父親の晋太郎さんはしつけのために子供と接するときには厳しくしていました。
そのため一緒に過ごす時間が少ない中では、厳しさを愛情だと感じることはありませんでした。
厳しくすることも愛情の1つです。ですが両親から甘やかされたり一緒に過ごすことも少なかったため、子供の頃の晋三さんには父親との良い思い出は少ないようです。
お金持ちで政治家の家系で育った晋三さんでしたが全ての面で恵まれていたわけではなかったようです。経済的に裕福な家庭でしたが子供時代は寂しい思いをしてたんですね・・・・。
安倍晋三の幼少期の画像
こちらが安倍晋三さんの幼少期の画像です。
画像引用:総裁選2018
白黒写真というのが時代を感じますがとてもかわいいですね!!。
もう一枚、晋三さんの幼少期の画像を見てみましょう!。
小さい頃から今のような面影があります!!。一緒に写っているのはおじいちゃんの岸信介さんです。
両親が不在の寂しい子供時代を過ごした安倍晋三さんですが母親代わりだったウメさんに甘える一方、祖父で元首相の岸信介にも溺愛されていました。
幼少期は不在がちだった両親に代わり、祖父にとても可愛がられていました。そのため晋三さんは「おじいちゃん子」でもありました。
そのため岸信介さんが安倍家に訪れる時にはいつも真っ先に晋三さんが出迎えてくれるそうです。
なので岸信介さんは政治家である自分によくなついてくれる晋三さんは「政治に興味がある」と考えていました。こうした理由から岸信介さんは晋三さんが子供の頃には政治家になることを予見しています。
さすが昭和の妖怪とも呼ばれた岸信介さんだけあって晋三さんが政治家を志すことを見抜いていたんですね!!。
ちなみに幼少期は岸信介さんと過ごすことも多かったので両親と過ごすよりも南平台にある祖父の家に行くこともありました。そこで晋三さんは祖父と楽しい、ひとときを過ごしています。
安倍晋三の子供時代の将来の夢は?
晋三さんは「政治家にならなかったら、映画監督になりたかった」と、今でも周囲に話しています。小学校高学年の頃には映画監督ごっこをしていたので、その頃から映画監督には興味や関心があったようです。
ところが、実際には子供の頃の将来の夢は映画監督ではなく”プロ野球選手”でした。
将来の夢がプロ野球選手だったなんて意外です。当時では割と一般的?な夢なのかもしれません。ただ現在は政治家と考えるとなんだか面白い気がしますね!!。
ちなみに、映画監督ごっこというのは家に学校の友達を大勢連れてきてやっていたそうです。その時には自分は部屋の隅に座り、ドンと構えて手に映画の台本に見立てた本を持って「おまえ、笑う時はもっと大きな声で笑って」と映画監督のように指示を出して遊んでいました。
大勢の友達に囲まれてそんな風に過ごしていた所には、寂しがり屋の一面も見て取れますね。他にも映画監督ごっこの中には寂しがりやだというだけでなく晋三さんの別の一面も見て取れます。
晋三さんの世話役のウメさんはどんな子供だったかについては・・・。晋三さんは自分の思い通りに事を動かそうとする所があるらしく、「ああしろ、こうしろ」と人に振り付けするのが好きだったようです。
そのため自分の思い通りにならないと癇癪を起こす子供でもあったようで世話をするのも大変でした。
さらに子供の頃についての晋三さんの性格には「自己主張・自我が人一倍強い」とも言っています。
どうやら、子供の頃から政治家に向きな性格で主張が強かったり人の上に立って物事を進めていくのか好きだったようですね。政治の家系ですし、政治家になったは必然だったようです。
安倍晋三の幼少期の性格
性格は自己主張・自我が人一倍強いといった以外にも、神経も人一倍図太い所があります。
どういうことかというと学校で先生から宿題を忘れたり遅刻をしたことを叱られても一切、動じることもなくいつも平然としていたそうです。そういった性格は学校だけでなく家の中でも同じで宿題をやっていないのにも関わらず”やった”と嘘をつくことが出来る子供でした。
具体的には、世話役のウメさんから宿題が済んだか尋ねられると晋三さんは『うん、済んだ』とはっきりと答えます。しかし、晋三さんが寝た後に宿題を確かめると、ノートは真っ白というありさまです・・・・。
平然と嘘をつき叱られても動じることもないなんて少し、他の子とは違っています。そういったことからも、とても度胸の据わっている子供だったことがわかります。このような態度なので学校へは元気に行っていましたが当然、宿題をやっていないので叱られてしまいます。
そのためノートを1週間で埋めてきなさいと先生からバツが与えられますが、こういった性格のため晋三さんは自分で宿題をすることはなかったようです。
そこで、宿題をどうしていたかというと世話役のウメさんや母親が代わりにやっていました。しかも、ウメさん達が代わりにやったとバレないように利き手ではない左手を使い宿題やっていたようです。
宿題に全く手をつけていないのにはっきりと嘘をついてしまうとは安倍晋三さんはかなり肝の太い子供だったようですね(笑)。
頑固で甘えん坊な晋三さんは子供時代は世話役のウメさんのことをかなり手こずらせたようですが、手を焼いたのはウメさんだけではなく安倍晋三さんの父親の安倍晋太郎さんも同じでした。
父親の私物がなくなった際に父親から兄弟共にきつく叱られてしまいます。
兄は叱られたことですぐに半泣きでしたが、弟の晋三さんは違いました。父親から「晋三、お前がやったのか!!」と強く問い詰められても頬を膨らませ顔を背け一切、口を利くことはなかったようです。
その後は、その状態が何時間も続き、しまいには観念した父親から「晋三、おまえはしぶとい!」と言われるほど我慢強い一面があります。
晋三さんは子供の頃から大の大人も根負けしてしまうほどの我慢強さも持ち合わせていました。
安倍晋三さんの子供時代を見てみるとますます、政治家向きな頑固で我慢強い性格を子供の頃からしていたことがわかります!!。
性格の特徴まとめ
- 甘えん坊で頑固
- 自己主張・自我が人一倍強い
- 度胸がすごく我慢強い
晋三さんの子供時代の性格は上のなどが特徴です。
安倍晋三の性格がよくわかるエピソード①
安倍晋三さんは以前、自宅に火炎瓶が投げ込まれ放火未遂事件として暴力団の男が逮捕されています。その時にとった行動が晋三さんの性格をよく表しています。
晋三さんは寝静まった後に自宅のガレージが燃えているのに気づきます。
その後すぐさまバットを手に犯人を捜しに外に出て放火犯がいないとわかると消防に連絡し、そしてすぐにグ~という寝息を立てて眠ってしまうという事件があったとは思えない行動をしています。
犯人は自宅を放火するような相手ですし鉢合わせしなかったからよかったものの、この犯人は以前に殺人事件も起こしていた凶悪犯だったようです。知らなかったとはいえ少しも臆することなく外に出ていくことが出来る度胸はやはり人並み外れています!。
その後も事が終わると何事もなかったかのようにすやすや寝てしまえるところもかなり図太い神経をしていますよね!!。
奥さんはこの行動にとてもビックリしたそうです。安倍晋三さんの性格を象徴とするエピソードが自宅に火炎瓶が投げ込まれた話からもよく分かります。こういった性格はどうやら幼少期からのようですね。
安倍晋三の性格がよくわかるエピソード②
安倍晋三さんというと政治家の家系でお坊ちゃんで体制派とみられます。しかし野球ではアンチ巨人で今のヤクルトである産経アトムズのファンだったようです。
巨人のような強いチームではなく、弱いチームなどいわゆる弱者に同情的な一面もあります。
プロレスにおいてもそれは同じでアンチ馬場でした。そうなってくると、外国人の選手を応援していましたが、結果は常に負けてしまいます。
このようなことから「弱いほうにに肩入れをしてしまう性向」があると晋三さんも自身も語っています。
2つのエピソードをから安倍晋三は、間違っていることに対してはしっかりと立ち向かい弱者に対して思いやりを持てる人ということがわかります。やるべきことはやり、闘うべき時には闘い、国民や弱者に対しても思いやりや優しさを持って行動するとても政治家向きな人物のようですね。
これからもその政治家向きな性質を生かして総理大臣として頑張っていってほしいですね!!。
安倍晋三さんの幼少期についてのまとめでした。