佐々木蔵之介の実家は酒蔵の佐々木酒造!兄弟とは険悪で父親からは勘当?!

ドラマや映画、舞台で多くの場で活躍している俳優の佐々木蔵之介。

佐々木蔵之介の実家は京都洛中の造り酒屋というのは有名です。そこで今回は佐々木蔵之介の実家である酒蔵や父親や兄弟とのエピソードについてまとめました。

佐々木蔵之介の実家は酒蔵の佐々木酒造!

佐々木蔵之介の実家は創業130年を超える老舗の酒蔵の「佐々木酒造」です。

引用:東京弁当生活。

老舗だけあってお店の外観は趣がありますね。お店の場所は豊臣秀吉が自分の家として建てた聚楽第のあった南端に位置する所にあります。

現在、佐々木酒造の社長の4代目は弟の佐々木晃さんが後を継いでいます。佐々木蔵之介の3人兄弟の末っ子にあたります。末っ子にもかかわらず家業を継ぐことになったようですね。

 

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外観は古い趣がありますが中はこのようになっています。

そしてコチラが佐々木酒造のお酒です。

引用:全国の銘酒&酒造場

佐々木酒造のお酒は全国新酒鑑評会で金賞を受賞しています。クチコミでもお酒の評判は上々です!。歴史だけでなく味も文句がないようです。箔もあり、味も良いので佐々木酒造を造り酒屋としては完ぺきですね!!。

そうなってくるとなおさら2人の兄が後を継がなかったことが気になってきますね!!。

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佐々木蔵之介の実家は酒蔵の佐々木酒造!兄弟仲は険悪?!

佐々木酒造を現社長の弟の晃さんには不満があるそうです。なんでも上の兄達が跡を継ぐことを拒否したためイヤイヤ跡を継いだそうで、そのため佐々木酒造の公式サイトではその不満をぶちまけています。

私は男3人兄弟の末っ子で、まさか酒屋を継ぐことになるとは思っておりませんでした。

上の兄は「飲んで無くなってしまうものを造るのはいやだ」と言って建築の道に進んでしまい、二番目の兄が跡を継ぐべくして、神戸大学の農学部に行ってバイオテクノロジーの研究や酒米の研究っていうテーマで卒論書いたりして、着々と酒造家の道を歩んでいたのですが、突然「俳優になる」と言って出ていってしまいました。

いつも自己紹介のところで佐々木酒造です、と言ってもあまり皆さんご存じない感じなのですが、最近は俳優の佐々木蔵之介の弟です、というと結構知ってくださる方があって、うれしいような複雑な気分です。

まあ、そんなことで、大学では中国文学科だった私が嫌々酒屋を継ぐことになったわけです

引用:http://jurakudai.com/company/

自社の公式トップページで社長が嫌々継いだと書いているのはとても珍しいのかもしれませんね(笑)。ネット上ではおもしろいと話題になったようで「かわいそう(笑)」「末っ子って、こうゆう役回りなんだよなぁ。。。」といった反応でした。弟の晃さんは中々、個性的な人のようです。

半ば押し付けられた形でイヤイヤ跡を継いだ晃さんですが、兄である蔵之介さんが好きな道へ進んだことに対しては複雑な所もありますが好意的です。

コチラが佐々木蔵之介の弟の佐々木酒造4代目の佐々木晃さんです。

引用:まったり気分

やっぱり兄弟だけあってどことなく佐々木蔵之介に似ていますね。

佛教大学の文学部で中国文学科卒業し、25歳のときに産業機械販売会社を退職して佐々木酒造に入社しています。

始めの内は軽い気持ちで家業を継いだそうで・・・

そのうち兄が諦めて戻ってくると思い、自分は留守番のつもりで家業に就きました

引用:SankeiBiz

まさか俳優として成功するとは思っていなかったようですし、一時的な気持ちで跡を継いだようですね。

佐々木蔵之介のお兄さんは年齢は一つ上で学歴は出身大学が東京大学卒業のとても優秀な兄がいます。職業は建築士で、飲んで無くなってしまうお酒が造りたくないと言って跡を継がなかっただけありはっきりと形になる職業を選んだようですね。

兄2人に色々と不満をこぼしており不仲なのかな?とも思いましたが実のところはそんなことはないようで、兄たちのことをこうも話しています。

色々と言ってますが、いつも兄2人は商売を気にかけてくれていますし、助けてもらってばかりです

引用:livedoolNEWSニュース

決して不仲であったり、弟の晃さんが跡を継がなかった2人の兄の事を嫌っているということも無いようですね。少し安心しました(笑)。

末っ子の3男が跡を継ぎましたが跡を継がなかった2人も家業をできる範囲で支え3人で助け合っているんですね!。佐々木蔵之介が俳優として活躍すれば酒蔵も有名になりますし、兄弟3人で継いだとも言えるのかもしれません。

蔵を離れてもいつも気に掛けてくれる2人の兄とは一緒に蔵を守っていると感じています

引用:SankeiBiz

これからも兄弟3人で蔵を守っていきます」ともコメントしており兄弟の絆の強さが感じられます!!。佐々木蔵之介の兄弟はとても仲の良い兄弟でした。

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佐々木蔵之介の実家は酒蔵の佐々木酒造!父親から勘当!

佐々木蔵之介の父が佐々木勝也さんといい佐々木酒造の3代目に当たります。

引用:京都てっぱん日記

3代目である佐々木勝也さんはとてもは厳格な方のようで、仕事においても家庭においてもそれは同じでした。

近隣住民によると息子の佐々木蔵之介達が悪さをすると、家の蔵に閉じ込めて反省させるような人でした。厳しくしつけられたためか子供は3人とも礼儀正しくて勤勉で、優秀に育っています。

佐々木蔵之介は父親については「厳しい父」と話しています。

「生真面目で、厳しい父でした。夕飯ができあがっていても、帳簿が終わるまでは絶対に食べさせてはくれませんでした。小さい頃はいつも、“はよ食べたい、はよ仕事終わって”と思っていました。」

引用:NWESポストセブン

とても厳しく律儀な人だったようです。そのかいあってか息子たちは立派に育っていますね。

長男が跡を継がなかったため次男の佐々木蔵之介が跡継ぎになることを決意し、神戸大学の農学部に進学します。そこでバイオテクノロジーや酒米の研究に励み卒業後は宣伝や販売のノウハウを学ぶために広告代理店に就職します。

しかし、学生時代に軽い気持ちで入った演劇サークルで演じることの面白さに目覚めてしまい新しい劇団の立ち上げにかかわるなど舞台活動にハマり、就職後も仕事終わりに芝居の活動を精力的にしていました。

そうした時に東京の有名な劇団から出演オファーが届きます。舞台に出演するためには稽古などを含め3カ月以上も拘束されるため、仕事をつづけながらというわけにはいかず芝居か家業かという人生の岐路に立ちます。

そして会社を辞め、役者として生きていくことを決めます。そして酒蔵を継ぐことを諦めることを佐々木酒造の3代目である父親に自らの決意を伝えます。

「長男は建築の道に進んだため、次男の蔵之介さんが後を継ぐものと本人も周囲も思っていました。お父さんは『神戸大学の農学部に入って、醸造のことを勉強してるんや』と、蔵之介さんのことをうれしそうに話していたんです。それが突然、蔵之介さんが役者になると言い出して……。もちろん、お父さんは大反対。周囲には何も言わなかったけれど、とても寂しそうでしたね」

引用:女性自身

長男に代わり跡を継いでくれると思った息子が突然芝居をやりたいと言われれば激怒するのも無理はないです・・・・。

お父さんは佐々木蔵之介に激怒し、

何のために大学へ行かせたと思っとるんや

引用:THE SANKEI NWES

この時の佐々木蔵之介は・・・

僕が“役者で生きていく”と言った時、父は落胆し、心底悲しんでいました。父を裏切ってしまった…。そう思いました(後略)

引用:NWESポストセブン

芝居をやりたいことで父の思いを汲むことの出来ない胸中にはつらいものがあったようですね。そして佐々木蔵之介が勘当同然になり関係が断絶します。

親子の断絶は2年間にも及びました。父親は跡継ぎを3男の晃さんに任せ、佐々木蔵之介には出入りも許さず近所には役者をやっていることも黙っていました。

しかし、母親が父を説得していたこともあってか役者を続けていました。そんな時に佐々木蔵之介がNHKの連続テレビ小説の『オードリー』に出演。このドラマをきっかけに和解に至ります。

引用:NHKアーカイブス

佐々木蔵之介はこのドラマがNHK初出演作でした。

「この時の勝也さんの喜びようはすごかった。店内に『オードリー』のポスターをいっぱい貼っていましたから。それを見て、近所の人が、“あれは佐々木さんとこの息子さんだったのか!”と気づいてね。お父さんは本当に嬉しそうでした」(前出・近所住民)

当時、勝也さんは『オードリー』という日本酒を期間限定で販売し、佐々木酒造創業以来の大ヒット商品になった。蔵之介も時間を見つけては実家に帰るようになり、共演者に佐々木酒造の酒を配るのが恒例になった。

引用:NWESポストセブン

2年間にわたる父子の断絶を経て関係を修復できました。お父さんの勝也さんは期間限定でドラマにちなみ「オードリー」という日本酒を販売しています。そのお酒が佐々木酒造始まって以来の大ヒットとなり、佐々木蔵之介も実家に帰れるようになりました。

しかし、和解に至った理由には連続テレビ小説の「オードリー」に出演したことがきっかけではなく、「オードリー」というお酒が創業以来の大ヒット商品になったことが親子の和解に繋がったと佐々木蔵之介が語っています。

役者として成長したからではありませんよ。実は朝ドラに合わせて佐々木酒造で「オードリー」という期間限定のお酒を造ったんです。私が広告代理店時代のノウハウを生かしてパッケージを考え、番組のポスターと一緒に酒販店に持っていきました。

放送がお歳暮の時期と重なったこともあり、創業以来の大ヒット商品になりました。それで和解。売り上げに貢献したからなんです(笑)。

引用:THE SANKEI NWES

照れでしょうか(笑)。俳優として成功した息子が誇らしかったのだと思いますよね!。親子ともに素直でない所はそっくりです(笑)。

ただ、跡を継がなかったので一緒に酒蔵で働くことはありませんでしたが、別の形でも一緒に仕事をして家業に貢献していることは間違いないのでそういった一連のことが和解にはつながったようですね。

実は佐々木蔵之介が大学時代に演劇にハマってしまったきっかけには父親の勝也さんにも原因がありました。勝也さんは人前で話すことが苦手でした。そのため子供たちには同じようになってほしくないと常々言い聞かせていました。その言葉を覚えていた佐々木蔵之介は自身の人見知りする性格を直そうと人前に出ることことになる演劇を始めています。

演劇へはそういった人見知りを克服するという軽い動機でしたが、以外にも芝居にハマってしまい人生を変える転機になっています。

父の勝也さんは佐々木蔵之介が俳優を志した時には「道を誤った」と落胆しましたが、自分が息子にかけていた言葉が息子の人生に少なからず影響を与えていたようです。

他にも「蔵之介」という芸名も父が命名しています。サークルで新人公演の時に使用する名前で悩んでいた時に父の勝也さんが「蔵が家にあるから蔵之介」と名づけています。和解後にはcmで親子共演も果たしています。

しかし、2016年に父の勝也さんが胃がんで急逝

肺がんと肺気腫を患い、入退院を繰り返していました。俳優業が多忙な佐々木蔵之介でしたが、実家の前で父親の車いすを押す佐々木蔵之介の姿を近所の人たちが時々見かけたそうです。

入院後は忙しい仕事の合間を縫って京都の病院に何度も通いました。可能な限りお見舞いに何度も通い、できる限り父の看病にあたりました。そのため夜中に東名高速を飛ばして京都の病院まで駆けることも頻繁にありました。

晩年の勝也さんは酸素ボンベが手放せませんでした。そのため退院した時も自宅から出ることはままなりませんでした。

「蔵之介さんの舞台を見に行くこともできなくなって。観劇したという知人に会うたびに、“どうでしたか?息子はうまいことやってましたか?”って聞くんです。いつだって息子さんのことを気にかけていました」

引用:NWESポストセブン

最期まで息子のことを気にかけていたようですね。佐々木蔵之介は仕事で海外から帰国した直後に父の容体急変を受けます。そのため最期は看取ることができました。

家の跡目と期待されたり、一時は勘当もされた佐々木蔵之介でしたが、告別式の弔辞で佐々木蔵之介は晩年の父子関係をこう表現しています。

「幼い頃に肩車してくれたあなたの背中を私がさすり、“熱はないか”とおでこに当ててくれたあなたの額に、私が同じようにおでこを当てるのです。病気になったことで、私と父の関係はより強く結ばれました

引用:NWESポストセブン

病気が別れを招きましたが、その病気が理由になって最後には心を近づけることができたんですね!。一時的には関係が断絶したこともありましたが最終的には、お互いに強く思いあう関係になっていたようです。

佐々木蔵之介は雑誌のインタビューで父と自分について共通点を語っています。

酒も、じっくりと発酵させ、そこから幾つもの工程を積み重ね、時には失敗もあって、それを乗り越えた先にようやく美味いと思えるものができる。そう考えると、酒造りに一生を注いだ父の生き方は、僕が理想とする役者人生そのものなんです》(『週刊現代18年1月13日号』)

引用:女性自身

職業としては別の道へ進んだ佐々木蔵之介でしたが、生き方という根っこの部分では父親とも繋がっていたようです。生き方が自分が目指す姿の理想と言われるのは亡くなられた父親の勝也さんも喜んでいると思います。

一時は跡継ぎから勘当までされた佐々木蔵之介でしたが父と子や兄弟はとても強い絆で結ばれているみたいですね。最後まで読んでいただいてありがとうございます。佐々木蔵之介の実家についてのまとめでした。

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